再開:書き続けることは難しい

 すっかり更新がご無沙汰になってしまった。最低でも週1回ぐらいは何か書くつもりだったが、結局反応すべきことすら反応できないままこの3ヶ月余をすごしてしまった。
 初めてのエントリーから丸2年を過ぎたが、やはり息切れというべきか、ネタはあっても書くのに詰まることが多くなっており、書き続けるためには、もっといろいろなことを知っておかなければならないと痛感していたのだった。

 更新が滞った直接の理由は、転居等で生活環境が大きく変わり、なかなか生活のリズムを作れなかったことによる。カミサンも仕事をしているため、生活のことはできるほうができるときにできることをやるのが基本で、どちらかが帰りが遅くなれば、子供の送り迎えから食事洗濯フロ寝かしつけ等を一通りやることになる。まあこんなことは誰でも当たり前にやっていることだが、転居の後となると、その生活リズムがいったん崩れる。で、それをまた作り直すのに時間がかかってしまう。一人暮らしのころは全く気にしなかった生活リズムの作り直しが、家族となるとこんなに大変になるとは・・・いい経験をさせてもらいました。やっぱり家族の引越しは「すべてお任せ」に限る。

 とはいえ、転居がなかったとしても、更新はたぶん滞っていたのだろうとも思っている。そう思う一番の理由は、書く本人のスタンス、というか姿勢の裏付けがだんだん弱くなってきて、考えるための材料が足りなくなってきたと自覚してきたからでもあった。

 メディアなどの報道や他の人が書いたものを読み、それに関して自分の考えなり感想なりを書くということが、これまでしてきたことだ。しかし、もっと深く考えようと思うと、そのために必要な知識なり経験なり技術なりが必要になってくる。技術があればある程度まとまったものは書けるが、それだけでは早晩マンネリに陥り、考えが硬直してくると感じていた。やはり、知識や経験をある程度蓄積する必要があり、それが足りなくなってきたとすれば、それらを「補充」する必要がある。
 そう思って、しばらくブログには書くことをやめ、本を読み、実際の社会の場でできる仕事なり運動なり活動なりをしようと考えたのだ。

 たった2、3ヶ月だが、労働組合の活動を増やしてみたり、図書館などにも通ってみたりして、知らないことが実にたくさんあることを思い知らされた。いままでこれは正しいと思っていたことも、その自分なりの根拠がいかにあやふやかということも思った。ちょっとしたカルチャーショック状態だった。
 それらの大半は、日常の生活を繰り返していく中では、なくても大して困らないものだった。実際、そうやっていろいろと知識をためたところで、具体的に何がどう変わるのかといえば、それだけでは多分なにも変わらない。でも、世の中のことをもっとよく知ろうと思ったら、とてもじゃないがこの間に得た程度の知識や経験では圧倒的に足りないのも、たぶん本当だと思う。

 「自己責任」が強調される「時代」になった。自分で選択したことの結果は、ちゃんと自分で始末しろ、ということだ。だが「選択」をするためには、知識や経験、技術が必要になる。「自己責任」が意味を持つのは、「自己決定」が伴う場合であって、そのためには、世の中にあふれかえる情報から「自己決定」に必要な材料を選び出さなければならない。そのためには知識や経験や技術が欠かせないのであって、この3ヶ月余は、足りなくなったそれらをすこしでも増やすための時間だったかもと、いま思っている。

 ということで、以前ほど(といっても大したペースで書いていたわけではないが)ではないが、これからまたいろいろ考えたことを書いていきたいと思う。

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このページは、moony(M. H. Square.)が2006年1月25日 01:21に書いた記事です。

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