日本の核武装ー不安のある状態に耐えられず、それを埋めるために国家を持ち出し核武装を言うのは、周囲も自分をも不幸にするだけ

 終戦記念日に、核をテーマにNHKで放映された討論番組「日本の、これから」を見た感想を述べたエントリーに、コメントをいただいた。そのコメントへの返答として、このエントリーを起こす。

 私が書いたそのエントリーは、核廃絶を実現するには、その意志を表明し、武力に寄らない行動を起こすところからしか始まらないという趣旨だ。それについて「既に手遅れだ」というコメントをいただいた。この方は、自身の主張を上げた自らのブログのリンクも張っていただいたので、それも読ませていただいた。この方の主張は、北朝鮮のみならず世界の主要国、中立国さえ核に手を染めている、日本も核武装しないと、そういう世界の諸国と渡り合えないという内容だと理解した。

 基本的に、私とこの方との意見の違いは、現状の世界情勢をどう認識しているかの差から始まっていると感じた。とはいえ、世界の諸国が何らかの形で核に関わっているという認識は私も持っている。意図的ではないにせよ、結果として日本だって核に関わっている可能性があるというのが私の認識だ。その点については違和感はない。

 しかし、だから「既に手遅れだ」というのがよく分からない。何を根拠にそう判断されているのかが分からない。そのあたりをもっと説明してくれると助かるのだが。このことについてよく「手遅れだ」という人は他にもいるが、何を根拠にそう言っているのか、いくら聞いてもはっきりしないので。

 普通の一般人の生活と違って、国家の場合は隣人(=隣国)を選べない。国家はそれぞれ自立して行動するから、さまざまな場面で衝突することも少なくない。一般人の生活ならば、最悪の隣人がいるなら、とりあえず転居すれば問題はなくなるが、国家の場合はそうはいかない。そのときにどうするか。
 北朝鮮を例にすれば、ああいう国は力ずくで潰してしまえという人をよく見かける。しかしよく考えてほしい。60数年前、「暴支庸徴」(ぼうしようちょう)などといって中国を潰しに行った結果がどうなったかを。「支那など大したことはない。すぐにたたける」などと見下して出て行った結果、15年も戦争に引きずり込まれ、大敗北を喫したのはどういうことか。
 あんなひどい国はたたきつぶすしかない。最近もそういって他国へ出しゃばっていった結果、思わぬ苦戦を強いられ、自国の安定さえ危うくした例はいくらでも見つかる。ブッシュジュニアによるイラク侵攻=侵略もそうだし、ケネディがきっかけを作ったベトナム戦争だってそうだ。70年代の中国がベトナムに侵攻したこともしかり。旧ソ連のアフガニスタン侵攻は、10年もかかったあげく勝利できずに撤退。それがひとつのきっかけで国自体が消滅してしまった。

 手遅れだから核武装する。そういう主張をする気持ちは分からなくもない。しかしそれによって実際に核武装してしまったときになにが起こるかを考えたことはあるのだろうか。そのあたりも聞いてみたい。

 そもそも、今の日本自体が、潜在的な核保有国(準保有国)と見なされうる立場にあることを認識しているか。これは見落としてはいけない重要な点である。
 その根拠は、世界でもトップクラスのプルトニウム保有量にある。2008年度末時点での日本の保有量は30トン超ある(「日本保有プルトニウム31.8トン」Fuji-Sankei Business i)。ちなみに北朝鮮が保有していると言われているのが約40?60kg。(「核不拡散ニュース No.0020 2006-7/7」北朝鮮プルトニウム=日本原子力研究開発機構 核不拡散科学技術センター
 加えて日本は、日頃から技術立国として世界に売り込んできた国家であり、当然のことながら核開発に利用できる技術を持つ(核兵器開発に転用可能だからと輸出制限されるような機械を作れる)。普段は低濃度のプルトニウムしか持っていなくても、それを濃縮する技術は持っているし、大型ロケット技術だって持っている(国際宇宙ステーションへの資材運搬のためのHTXとH2Bロケットのこと)。ロケットなぞすぐにミサイルに転用できよう。いつでも核兵器に転用できる大量のプルトニウムをもち、それを実行可能とする高度な技術を持つが故に、潜在的核保有国=準保有国と見なされうる立場に、日本はある。

 そういう現実があることを認識した上での核武装論なのか。コメントをくれたこの方のみならず、日本の核武装を主張する人々の認識はいかほどなのか。その点に大いに不安を感じる。

 憲法9条と非核三原則が、なぜ戦後60年をこえても曲がりなりにも維持されてきたか。核兵器による攻撃を受けたという悲惨な経験にもとづいたものだけでなく、現在では、すぐにでも核武装し他国と渡り合うようなことをする危険な国家とみなされないために、そういうことはしませんという、国家の国際公約としての役割を果たしている面を見落としてはいけない。

 だいたい、既に準保有国の水準にある日本が実際に核武装してしまったら、それこそ核武装論者がいうような、核によるパワーバランスが一気に崩壊し、東アジアのみならず世界的に情勢が不安定になることは想像できないのだろうか。
 一般に、プルトニウム約8トンで長崎型原爆1000発分に相当するという。となると、先に挙げた記事にある、08年度末の保有量約31.8トンは約4000発弱といったところか。アメリカと緊密な関係にある日本が、東アジアで4000発の核兵器を持つことが、どれだけの重みを持っているか。それを本当に理解しているのなら、軽々しく核武装すべしなどと言えないはずだ。

 大量のプルトニウムを保持し、しかも開発する技術もある。黙っていれば、それだけで十分な脅威を他国に与えることになる。
 だから日本政府は、毎年1回プルトニウム保有量を公開し、IAEAにも届けて査察を受けるということをしている。それも神経質なくらいに。他国も持っているのだから我々も、などと簡単に言える立場には、日本はいないことを理解すべきだと思う。これが現実というものだ。私は核抑止論には与しないが、そういう私から見ても、日本は現実に核抑止力を、結果として自ら行使している側面があると思う。

 結局、あのNHKの討論番組の最後で、核抑止論の立場に立つゲストの評論家(志方氏)が、「自分のアイデンティティを守るために国家に核武装をと言っているように見える」と苦言を呈さざるを得ないほどに、日本の核武装論は浮世離れしたものであるということが私の認識だ。そういう観点から見れば、インドやパキスタンの核武装の方が、まだ幾分かは戦略的にやっているように思う(それでも核保有を容認するつもりはないが)。
 そもそも「核武装すれば発言力が増す」というのも、「見ろ!オレは強いんだぞ」と威張っているジャイアン以上のものをイメージできない。発言力が増すのなら、なぜアメリカは、核を持たないのに急速に反米化している南米諸国を押さえられないのか。ましてや、北朝鮮はなぜ中国には頭が上がらないのか。核武装したのだから、北朝鮮は少しぐらい中国に対しても強気に出てもよいではないか。それが出来ないのはなぜか。友好国だから? いや北朝鮮にとっての中国は宗主国みたいなものだろう。そういう立場では、いろんな意味で頭が上がらないのは当然だ。でも核武装すれば発言力は増すという。ならば中国に対してもそうなるのではないか。核保有と言うことでは対等に近い立場になるのだから。
 そして、そもそも発言力を増すことで、いったい何を得ようというのだろうか。そういう立場を得ることが目的なら、本当に日本は「ジャイアン」を目指したいのか、と思ってしまう。
 とまあ、しょうもないことなどを考えてしまうがどうだろうか。

 いま出てきている核武装論は、それを言っている人自身の不安を贖うためのもの、それ以上のものではないというのが、今の私の個人的な結論だ。そんな不安など、自分自身でどうするか考えて抜いて、自分のアイデンティティの一部として受け入れるのが本来の姿だと思う。不安のある状態に耐えられず、それを埋めるために国家を持ち出し核武装を言いつのるのは、周囲も自分をも不幸にするだけだと思う。

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このページは、moony(M. H. Square.)が2009年10月 4日 01:41に書いた記事です。

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