2009年11月アーカイブ

ビラ配布 有罪確定へ 『表現の自由に限度』 from 東京新聞 2009.11.30

 立川の反戦ビラ配布に続き、ビラ配布が有罪となることが確定した。報道を見る限り、今回の判決は「入っちゃダメと書いてあるところに入ったから有罪」という、ほとんど形式的な判断しかなされていないようだ。まあ、配布されるものの内容に踏み込めば、より難しい判断を迫られるだろうから、それを回避したということなのだろう。しかし、それでも、このビラ配布によって誰にどれだけの実害が出たのかの認定が実質的になされないまま有罪とされるのは、やはりどう考えてもおかしいと言わざるを得ない。不安神経症的な世相をそのまま後追いしたような判断は、最高裁が、自らの存在意義に、自ら疑問符をつける形となった。

 そんなどうしようもない判断をした4人の最高裁判事はさておき、この事件に対する反応は、民主主義をどれだけ理解/大事にしているかのバロメーターとなりうるだろう。こんな、裁判所などいらないと思わせるような形式的な判断を「その通り」と思っているなら、そういう人は、自らは民主主義の恩恵を受けているにもかかわらず、民主主義を理解していないし大事にしていないと判断して差し支えないだろう。こんな形式的な有罪判断と引き替えに、民主主義の重要な要素である意見表明の機会に制限を加えてよいという立場なのだから。

 いまの世相のどうしようもない一面を見せつけられた思いだ。

 どうやら子どもからもらったらしいインフルエンザで、先週初めから会社を休んで家で伏せっているわけですが、結果として偉い目に遭ってしまったのでありました。おかげでまだ出勤できず、ひどくだるい体を布団の上で転がす日々がまだ続くわけですが。。。

 ことの始まりはインフルエンザに感染したこと。全身にだるさを感じたので、翌日病院に行って簡易検査を受けたらA型と診断され、即新型感染と判断されました。いまは簡易検査でA型が出たらまず100%新型なので、それ以上は検査しないですぐ薬を処方するんですね。で、たぶん世間の皆さんと同様5日分のタミフル(カプセル75)を処方されたわけですが、これが問題を大きくするきっかけになるとは夢にも思わず。

 昨日に引き続き、斜め視聴にて鑑賞。NHKスペシャル「証言ドキュメント 永田町・権力の興亡 第2回」
 政権復帰した自民党が、小沢氏を使って公明党と連立を組み、政権維持に全力を注ぐ過程が紹介されたが・・・。

 やはり、なんというか、内部でいろんな「攻防」があったのだろうが、それは当時から断片的にではあるがそれなりに語られていたことであって、ほとんど目新しさを感じなかった。だが、自民党が政権維持のために数を確保することに血眼になっていったことが、どんどん国民の政治不信を強めていったことで、結局自ら崩壊過程にどんどんのめり込んでいったことはその通りだろう。政権につくことでしか、存在意義を示せなかった集団の末路はやはり哀れである。

 これによって、その巨大なツケを回された国民生活もまた疲弊していき、少なくない国民が生活の基盤を崩されていった。仕上げは、小泉政権の新自由主義路線。まともに働けない暮らせない人々がどんどん増えていった時代でもある。
 結局、社会党がぶっ壊れ、次いで自民党もぶっ壊された。ある意味小沢氏の希望通り、ぬるま湯の55年体制は見事に破壊された。しかし、そのあとに残った/現れたものは?

 改めて書くが、この過程を経て、旧弊たる55年体制は打破されたが、それで本当に普通の国民のための社会になってきたのだろうか。今日も、番組を見ている限りでは皆目わからなかった。明日は第3回、この問いに対する答えは見えてくるのだろうか。

 斜め読みならぬ「斜め視聴」(ただ家事をしながらですが)で見た今日(11/1)のNHKスペシャル「証言ドキュメント 永田町・権力の興亡 第1回」。おもしろいとは思ったが、一番シンプルな疑問は最後まで残った。曰く「いったい何のための“政権交代”、“政治改革”か」。

 長く続いた55年体制は壊さなければならない。そう強調する小沢一郎氏。そのために仕掛けた政権奪取劇が93年の細川連立政権であることが示される。
 自民党を割って出て、いろんな仕掛けをして連立政権発足にこぎ着けたあと、55年体制を壊すべく次から次へと手を繰り出す小沢氏。小選挙区導入(政治改革法案)では、与党内の造反でいったん否決されたものの、野党自民党と組んで成立させる。この頃から社会党やさきがけとの関係が怪しくなるが、構わず消費税に変わる新間接税(国民福祉税)7%を提案。事前に相談されなかった社会党やさきがけの離脱が決定的になる。佐川急便スキャンダルで細川内閣が崩壊したあと、羽田内閣を挟んで政権維持の暗闘がクライマックスへ。社会党とさきがけが離脱した連立政権維持のため、自民党の分裂を仕掛ける小沢氏。しかし失敗。そして、政権復帰へ執念を燃やす自民党は連立を離脱した社会党・さきがけと組み、村山社会党委員長を首相に担ぎ上げて政権復帰を果たす。

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