2009年8月アーカイブ
NHKは、この夏の戦争関連の番組を多数放送(再放送も含む)していて、非常に重宝している。かつて見逃してしまって、二度と見られないとあきらめていた番組を含まれていて、毎日何かを録画してはディスクに焼く作業をしている。問題は、そうやって録り貯めた番組をいつ観るかということなのだが。
そんな私が、当初は気にもしていなかった番組がある。8/15夜放送のNHK総合「日本の、これから、」という討論番組である。今回のテーマは「核」。核廃絶は可能かどうか、市民が討論するものだが、どうせろくなものにならないと無視を決めてかかっていた。
それがどういう気持ちの変化か、ちょっと観てみようと思ってテレビをつけた。どういうつもりか自分でもよく分からないが、オバマ大統領が核廃絶宣言をし、にわかに核兵器問題がクローズアップされている今、なにか変化があるのではないかという淡い期待もあった。
以前、ウクライナの大統領選挙を巡る混乱をネタに「民主主義」の有効性を考えるというエントリーを書いたことがある。「民主化のうねりが押し寄せた」とも評されたこの事態の裏に、アメリカなど外国勢の動きがあって、しかしそうだとしても、こういう形で多数を動員するには「民主主義」的な啓蒙活動は必要であり、それは国民個々の「民主主義」の経験値を上げることになるのではないか、という趣旨の内容である。
この件はもう5年前の話だが、最近のイラン大統領選挙での混乱など似たような事態は世界のどこかに常にあるようで、こういう観点から見ると「民主主義」は常に至るところで動き変化しているなと感じる。
そしてこの国でも「民主主義の経験値」を示す機会が4年ぶりにやってきている。8月30日投票予定の衆議院議員総選挙である。
戦後の長きにわたり政権についていた自民党がこれまでにない混乱した状態に陥り、民主党による「政権交代」が相当のレベルで現実味を帯びてきている状況で、この国の国民がどういう選択をするのかが注目されている選挙である。
この状況を、5年前のウクライナの事態と比較したとき、双方の「事態の変化」の構造が、相当に似ていることに気づいた。