スポーツとファシズムの距離 - 2020年東京オリンピック決定に際して

 ナチスドイツが「健康」を重視していたことは、少し歴史を調べればわかることだ。ドイツ民族の優秀さを示すために、「健康」を極限まで追求した、とも言われる。1936年のベルリンオリンピックは、その格好の舞台でもあっただろうと想像する。

 スポーツに取り組む人の姿に強い魅力を感じることに、身に覚えがある人は少なくなかろう。スポーツが本来的に持っている「健全さ」「真摯さ」という特性は、スポーツをする人・観る人の気持ちを捉えて離さない。それはそれでいい。
 だが、スポーツの持つ健全さについて、それが「そうであらねばならないこと」に転化すると、そこからファシズムへの道が始まってしまう。
 スポーツに代表される「健全さ」に魅力を感じることと、「健全であること」を他者に求めることには大きく違う。前者は個々人の感情だが、後者は他者への同調圧力となり、いずれそこからの逸脱を許さなくなる。

 ファシズムとは、際限なく他者に同調することを求め続けることにある、と考える。その結末は、明治維新から1945年に至る大日本帝国の足跡をたどれば自明であろう。それは国民に対し、国体に際限なく同調を求め続けた結果の国家体制の破綻であった。ただし、それは国民が求めた面も多分にあるが。
 いままた、先行きの見えない不安に直面し、何かに頼りたい気分が蔓延しているこの国において、スポーツが示す「健全さ」「真摯さ」が何をもたらすか。いま一度立ち止まって考える必要があるのではないかと思う。

 2020年東京オリンピックが、1936年のベルリンの再来にならないよう。

過剰な「誇り」は原理主義につながる?「自国文化に誇りを持つ“過ち”」(宋文洲)を読んで

 前のエントリーで「安倍首相にエールを送る人」と紹介した同じ人のコラムが秀逸でしたので紹介したいと思います。
 日経ビジネス「NBonline」で宋文洲(そう・ぶんしゅう)さんという中国人ビジネスマンが連載している「宋文洲の傍目八目」というコラムの最新号「自国文化に誇りを持つ“過ち” 」です。

 安倍首相にエールを送ったコラムは、個人的に変だと思ったのであのような紹介の形になりましたが、この方の書くことは、立場の違いはあるにせよ、頷かせてくれることも少なくありません。今回もそう思わせてくれる一文でした。

ただいま読書中:「在日 ふたつの祖国への思い」姜尚中著

 本日(というか昨日)、ふらっと立ち寄った会社近くの本屋で購入。途中まで読んだが、非常に面白い。
 「在日」という立場から、先の大戦での日本の敗北から始まる日本と朝鮮半島を巡る歴史の変動を書いているが、時々の国際情勢を踏まえながら、日本と韓国・北朝鮮が戦後どのような歩みを進めてきたかを、コンパクトかつ丁寧に書いている。日本と朝鮮半島を巡る戦後の歴史について、あまりに知らないことが多いことに改めて気付かされる。
 たとえば日韓基本条約がどのような経緯を経て締結されたのか、当時の国際情勢も交えて書いてあるが、日本側の事情、韓国側の事情、アメリカの思惑など興味深い事項に触れてあったりしていろいろ考えさせられる。これを読むと、たとえ日本の戦争被害についての個人補償は日韓基本条約で決着済みであったにしても、そうなった経緯には実にいろいろな思惑なり事情があって、単純に「済んだ問題」とは言い切れなくなる。いろいろ教えられる本だ。参考文献をたどっていけば、より深く知識を広げていけると思う。

 「在日 ふたつの祖国への思い」姜尚中著 講談社+α新書 800円 ISBN4-06-272306-9

私はまだ「在日」のことをほとんど知らない:「DAYS JAPAN」2004年11月号特集「在日」を読んで

 日本に定住している朝鮮民族が、なぜ日本で暮らすようになったのかについて、恥ずかしながら私は正確なことをほとんど知らない。1910年に日本が「韓国」を併合して植民地化して以降、多くの朝鮮人たちが職を求めて日本に渡り、また連れてこられたことは学校で教わったし、日中戦争が始まってからはコリアンも総動員の対象になったこと、日本の敗戦で、多くの人が朝鮮半島に帰ったが、一方でまた多数の人が日本に残ったことも知識として知っている。
 しかし、戦後以降の在日の人々がいったいどのような扱いを受けてきたのかは、残念ながらほとんど知らない。敗戦直後、日本国籍を持っていた彼らは、なぜその後国籍をはく奪され、事実上無権利状態に置かれたのか。どうして少なくない日本人は、彼らを忌み嫌うようになったのか。戦後の在日の人々の扱われ方を知るにつれ、強い怒りを感じることはあっても、それはなぜなのかということについて考えはなかなか至らなかった。

 「DAYS JAPAN」2004年11月号の特集「在日」を読んで、また知らないことがまだまだ多いことを思い知らされた。16ページほどの特集に、現在の在日の方々の状況とこれまでがコンパクトにまとめられているが、そこに記されていることはほとんど知らなかった。たとえば16ページにある1/3ページほどの関連年表に記載されている出来事の半分以上を知らなかった。

例の漫画をめぐる騒動の追記

 ばたばたしていて、数日アクセスできないでいるうちに、勢いだけ(?)で書いた前のエントリに3つもTBいただきました。もう今さらなんでTBは返しませんが、TBしていただいた皆さま、ありがとうございました。

 で、先のエントリに補足する形でちょっとだけ追記を。

「歴史」を考えつづけ、検証しつづけていくこと

 情けない、というか申し訳ないというか、6月23日が沖縄慰霊の日だということを思い出すのは、直前か当日に報道でされて、という有り様である。沖縄以外に住んでいる日本人が皆そうだとは思わないが、広島・長崎の原爆投下の8月6日・9日や終戦=敗戦の8月15日はまだいいとして、私の母親が体験したという大阪空襲の3月13日や東京大空襲の3月10日などはもはやメジャーなメディアではほとんど話題にならなくなっていることを考えると、沖縄戦の記憶と記録(伝聞を含む)はまだまだ生き残っている方なのかもしれない。

 ばっきょ隊長さんの「慰霊の日」という記事を読み、そう思った次第。
 平和祈念公園は3年前に初めて行った。9月も終わりという頃なのに、真夏の太陽がぎらぎら照りつける酷く暑い日だった。ほとんど人がおらず、波と風の音しか聞こえない午後の公園で、結婚前のカミサンと平和の礎を端から端まですべて歩いてみた。思っていた以上に歩くのに時間がかかった。それだけの人が亡くなったということを、暑さに半分うなされながら感じた記憶がある。

 あの時の沖縄がどういう状況だったのか。今を生きる人間としてはひたすら想像するしかないが、なぜそういう状態になったかは、考えつづけ検証しつづけて行かなければいけないことだと思う。
 ばっきょ隊長さんが「何故に国を守るために鉄砲に竹ヤリで戦わなければならなかったのだろうか、という事は考えるべきだと思う。」と書かれていたことについて、たまたま読んでいた本にそのことを考えるヒントがあった。