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「起訴相当」も「法的に問題なし」もどうでもいいけれど

小沢氏は「起訴相当」 検察審査会が議決:社会(TOKYO Web) 2010. 4.27 from 東京新聞魚拓

 正直なところ、「起訴相当」でも「法的に問題なし」でもどうでもいいと思っている。むしろ問題は別の所にあると思っている。

 それは民主主義のあり方という点について。
 例えば、小沢氏が地元岩手で作り上げているとされる「支配の構造」が、いわゆる民主主義における民意の反映のプロセスに何らかの影響を与えていないか、という点を気にしてる。
 つまり「たしかに現行法の範囲では法的に問題ないお金かも、でもそのお金でいったい何してるの?」ということだ。そういう観点から、今回の件にかかわらず、自らの政治資金のことについて、小沢氏にはもっと説明する責任はあると思っている。

 検察については、どうのこうとと思うところはあるが、それはまた別の話にて。

「あいつらは○○だ」というヤツが一番怪しい

中日新聞:減税恒久化再び提案 市長、議員報酬半減案も:河村vs市議会(CHUNICHI Web) (http://www.chunichi.co.jp/article/feature/vsshigikai/list/201004 /CK2010041902000194.html)

 名古屋市議会の4月臨時会が19日、開会し、河村たかし市長は、2月定例会で減額された地域委員会の関連予算約4200万円の復活を盛り込んだ補正予算案や、「2010年度限り」と修正された市民税10%減税の恒久化、議員報酬を半減する条例案などを提出した。河村市長は議員報酬と定数の半減を訴えてきたが、臨時会では報酬に絞った。

 議会側は補正予算と減税は「2月定例会で決着済み」として否決する構え。議員報酬は市民から「高すぎる」との声が強い現状を踏まえて各会派で見直す議論も始まっており、焦点になりそうだ。

 河村市長は提案理由で「減税、地域委員会、議会改革は『主権在民3部作』。政治はどうあるべきかを問いたい」と表明。「報酬削減は多くの市民が望む改革。議員が税金で身分保障される現状を変えたい」と訴えた。

 質問に立った鷲野恵子氏(共産)は「臨時会は必要性も大義もない。招集権の乱用だ」と市長の姿勢を批判。報酬について「半減を押しつけるよりも、市民も加わった第三者機関で決める方が民主的だ」と迫ると、河村市長は「まず議員自身がいくらが適当か言うべきだ」と反論した。

 梅村麻美子氏(民主)は「市長の悪意に満ちたウソで、過度の議会批判の世論が形成された」と市長を批判。河村市長は「人を犯罪者扱いして名誉棄損だ」とやじで応酬した。

  東京都にしろ大阪府にしろ千葉県にしろ埼玉県にしろ横浜市にしろ杉並区にしろ・・と書き連ねるときりがないくらいに、ポピュリズムの手法を使う「首長」が多いことにうんざりする。

  名古屋市の河村たかし市長もそのひとり。「改革」だと言って議会を非難し、市税10%減税を議会が否決したことを利用して(というより否決することを見越して)、議員定数と報酬の半減を持ち出した。

【ビラ配布有罪】こういう理由での結論なら、裁判所は自らの存在意義を否定することにならないか

ビラ配布 有罪確定へ 『表現の自由に限度』 from 東京新聞 2009.11.30

 立川の反戦ビラ配布に続き、ビラ配布が有罪となることが確定した。報道を見る限り、今回の判決は「入っちゃダメと書いてあるところに入ったから有罪」という、ほとんど形式的な判断しかなされていないようだ。まあ、配布されるものの内容に踏み込めば、より難しい判断を迫られるだろうから、それを回避したということなのだろう。しかし、それでも、このビラ配布によって誰にどれだけの実害が出たのかの認定が実質的になされないまま有罪とされるのは、やはりどう考えてもおかしいと言わざるを得ない。不安神経症的な世相をそのまま後追いしたような判断は、最高裁が、自らの存在意義に、自ら疑問符をつける形となった。

 そんなどうしようもない判断をした4人の最高裁判事はさておき、この事件に対する反応は、民主主義をどれだけ理解/大事にしているかのバロメーターとなりうるだろう。こんな、裁判所などいらないと思わせるような形式的な判断を「その通り」と思っているなら、そういう人は、自らは民主主義の恩恵を受けているにもかかわらず、民主主義を理解していないし大事にしていないと判断して差し支えないだろう。こんな形式的な有罪判断と引き替えに、民主主義の重要な要素である意見表明の機会に制限を加えてよいという立場なのだから。

 いまの世相のどうしようもない一面を見せつけられた思いだ。

「民主主義の経験値」を高めるために 09総選挙を前に改めて考える

 以前、ウクライナの大統領選挙を巡る混乱をネタに「民主主義」の有効性を考えるというエントリーを書いたことがある。「民主化のうねりが押し寄せた」とも評されたこの事態の裏に、アメリカなど外国勢の動きがあって、しかしそうだとしても、こういう形で多数を動員するには「民主主義」的な啓蒙活動は必要であり、それは国民個々の「民主主義」の経験値を上げることになるのではないか、という趣旨の内容である。
 この件はもう5年前の話だが、最近のイラン大統領選挙での混乱など似たような事態は世界のどこかに常にあるようで、こういう観点から見ると「民主主義」は常に至るところで動き変化しているなと感じる。

 そしてこの国でも「民主主義の経験値」を示す機会が4年ぶりにやってきている。8月30日投票予定の衆議院議員総選挙である。
 戦後の長きにわたり政権についていた自民党がこれまでにない混乱した状態に陥り、民主党による「政権交代」が相当のレベルで現実味を帯びてきている状況で、この国の国民がどういう選択をするのかが注目されている選挙である。

 この状況を、5年前のウクライナの事態と比較したとき、双方の「事態の変化」の構造が、相当に似ていることに気づいた。

国旗国歌「強制」は違法・違憲・・・「自由と民主主義」の重みを想う

国旗国歌強制は違法 東京地裁、賠償命令も from 東京新聞 2006.9.21

 あまりにご無沙汰過ぎて、何を書いたらよいか近頃わからなくなってしまっているのですが、久々の良識ある判決にちょっとだけ思ったことを。