米軍の「だまし討ち」か? イラク・サマラ制圧

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 上海と杭州をめぐる夏休み旅行から帰り、溜まりに溜まったニュースやらメールやらに目を通しているうちに、あっという間に帰国から10日以上も過ぎてしまいました。ニュースに接することができないでいるうちに、世界も日本も実にいろいろな出来事があったようですね。あまりに多くて追いかけきれない・・・というか、普段からどれだけ多くのニュースに接していたのかということに今さらながらに気付き、たまの休みも必要か、と思った次第です。

 溜まったニュースを読みつづけていく中で、どうしても気になった記事があります。イラク駐留米軍がサマラという都市で行っていた掃討作戦についての記事です。
 共同通信は、「サマラ掃討で百人超殺害 子供ら約20人犠牲に」(10月1日付)や「2日で125人殺害 イラク駐留米軍の掃討作戦」(10月3日付)と報じています。関連する記事はこれだけではありませんが、読むと、まるで町を占領する武装勢力と米軍が厳しく対決しているような印象を受けます。
 ところが、購読しているメーリングリスト「アラブの声」71号は、「サマッラ陥落の真相 合意締結で油断させ急襲」と題し、治安が良好だったサマラがどうして米軍に攻撃されることになったのか(ロンドンで発行するクドゥス・プレス通信と、バスラの住民、アブークテイバ・サマッライー(サマッラ出身者の意)氏の現場レポートをバスラ・ネットが掲載したものを紹介=発行者・齊藤力二朗氏の説明)を、上記の記事とは違う視点で詳細に解説しています。

 一般紙の報道では、米軍と武装勢力が戦闘をして、米軍が制圧した=勝利したというような内容になっています。でも「アラブの声」71号にはこう書かれています。

 

 2週間前から傀儡政府(暫定政府=引用者注)は、様々な手を使ってサマッラをアメリカ人に引き渡そうと画策し、町の有力者に、サマッラの破壊を避けたいならば、イラク内務省と交渉する使節団を結成するよう圧力を掛けてきた。

 そこでスンナ、シーア両派の諸部族の有力者や、攻撃を受けるたびに住民にジハード(聖戦)を呼びかけていたイスラム法学者機構(スンナ派の最高権威組織)所属の複数の法学者を含む宗教学者、占領軍への協力を拒否してきたサマッラ警察の署長などから成る交渉使節団が組織された。

 政府と交渉するに当たり、使節団は以下の基本方針を作成した。
1)政府が町を統治する。
2)イラク警察が市内の治安を担当する。イラク軍は緊急の場合を除き、また、使節団の了承が無ければ、それに介入しない。
3)如何なる口実に拠ろうとも、1ヶ月前から継続している空襲を中止する。
4)必要が無ければ、米軍は市内に入らない。
5)行政サービスの再開と爆撃被害への保障

 交渉2週間後に、イラク警察が市内全域に展開する合意が結ばれた。そこで政府は、市内に居る警官だけでは全域に展開し、全ての道路を管理するには人数が不足だとの口実を設け、市外から警官を招集すると伝えてきた。これまでは抵抗戦士が町の治安維持を担ってきた。

 抵抗戦士が通りからそれぞれの住まいに引き上げた後、警官が入れ替わりに町に入ってきた。不審感を抱かせた最初の出来事は、警察のオープンカーにロケット弾や大口径の機関銃が積まれていたことだ。しかし抵抗戦士は、不和の種に成ることを避け、また有識者の忠告に従い、住まいから出なかった。警官は、これから戦場に向かうかのように、異教徒の警備企業社員が着用しているような防弾チョッキを制服の上に身に付けていたことが目を引いた。

 警官は市内全域に、特に聖戦士が多数いると見られていた場所に集中して散開した。聖戦士が常に集まる場所には警備拠点も設けられた。2時間は何事も無く過ぎた。しかしその間に、米軍は町を包囲し、じりじりと郊外から町に向かって進行していたのだ。

 突然、警察が拡声器で使節団との合意に基づく措置だと強弁し、外出禁止を通告してきた。半時間も経たぬうちに、ヘリコプターに援護された米軍戦車が侵攻し、無差別に砲弾を浴びせた。住居が破壊され、住民がその中で殺害された。一部の車列は町の中心部に来て警察署や市庁舎、高層ビル、病院などの屋上に、果てはモスクの光塔にも、狙撃手を配置し、「武装勢力を一掃(そもそも初めから一切戦闘に関わっていない)し、町を制圧した」と発表した。サマッラ出身だと自称するが相当前から町から縁切りされている裏切り者の(警察)隊長は、民間人の死者は居ないと豪語した。

 ?中略?

 抵抗勢力が撤退した理由には、米軍が抵抗勢力に撤退しなければ、全住居、全地域を爆撃すると呼びかけたためだ。アメリカの真意が住民の皆殺しにある以上、住民の生命をマモルために撤退することを選択した。
 

 同じことを取り上げても、立場の違いでこれだけの内容の違いが出てきます。米軍側は武装勢力を制圧した、といい、サマラの関係者などの立場からは、平和的に収拾すると見せかけて米軍が攻撃してきたということになります。

 これが本当なら、アメリカは相手を押さえつけるためには手段を選ばないようになっているとしか思えません。こんなことをした上で作られる「自由で民主的な国」とはいったいどんなものなのでしょう。

 サマラ「制圧」後の報道として、こんな記事もありました。
 “奇襲作戦”でサマラ奪還 米軍、攻撃通告は10分前 from 北海道新聞 2004.10.5
 米・イラク合同部隊がサマラ制圧 「選挙に向け攻勢」 (産経新聞) from goo ニュース 2004.10.5

 道新の記事は共同通信、産経の記事はカイロ発です。バグダッドの共同の記者はサマラに行ったのでしょうか。産経の記者はカイロで何処から情報を集めたのでしょうか。この2社に限らず、日本のメディアの重大な問題が表れているとつい思ってしまいます。

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