東京都知事選:石原氏への「批判のしにくさ」と「社会の成熟」(下)

 これで最後です。

 さて、石原氏はよく天才的なポピュリストだと言われています。昔から、大衆の欲望を救い上げるのに天才的な才能を持っている、という評価です。どうしてそうなのだろう、と疑問に思っていましたが、いま思うのは、石原氏自信が甘えを求める願望を持っているからこそ、大衆の「甘えを求める願望」に敏感なのではないかということです。つまり、甘えさせてあげられるような主張なり政策なりを、適切なターゲットに適切に提供できるということです。

 今回取り上げている大塚氏の本書(「サブカルチャー文学論」(朝日文庫))の中で、石原氏は昔からタフなネゴシエーターとしての能力も持っていると書かれています。かつて「太陽の季節」がヒットして弟の石原裕次郎を主演にした映画が大ヒットしたあと、ある映画会社が次の小説の映画化権を買いたいと持ちかけてきたことがあるそうです。そのとき、「次の小説」は題名もプロットもまだ何も決めてなかったのに、弟の主演を条件に映画化権を売ることを決めてしまう。決めてしまってから、きわめて短時間でその小説を書き上げたということをやったらしいのです(石原氏の著書「弟」にこのような記述があるようです)。ありもしない小説の映画化権を売るというネゴシエーターぶりには、皮肉なしに親近感を覚えたと大塚氏は書いています。これは今まさに同じような仕事をしている立場の者としての思いとしていますが、そういう、いわゆる世間の「風」を読む能力に長けていることも石原氏の特徴なのでしょう。
 大衆が全体としていまどんなことを求めているかに敏感で、かつそれを難なくビジネスなり政治なりに結びつける能力。多くの人が望むものを提供でき、それをビジネスにしていこうという人たちも巻き込めていけるネゴシエーターぶり。これが石原氏の特徴といえるでしょう。

 こういう人を相手に政治戦を闘うのが非常に大変なことは、容易に想像が付くことと思います。なにせ多数の大衆の欲望を受け止めて政治にしていくわけですから。欲望に直結した行動ほど強いものはない。ましてや現状に強い不満なり不安を持っている人々の欲求はただでさえ強いのですから。
 「政治」のレベルにはその国の「民度」がある程度反映されるといいます。石原氏がトップにいる東京の「政治」は、それを、つまり「社会の成熟」度を一番わかりやすく示しているのかもしれません。

 ここまで書いて考えたのは、ナチスドイツや戦前の日本などがファシズムに走っていったのは、こういうプロセスを経ていったのかなということです。欲望を救い上げて支持をひきつける。全面的に甘えられる環境が自我の確立の基盤である以上、その手法なり政策なりを批判する相手は、自我を損なうものでしかないわけで、そういう相手を敵に仕上げてそれに対する備えを強調し、きわめて非寛容的な集団を作り上げていく。それは欲望に支えられているだけに、突き崩していくのは非常に難しい。

 これらの点を鑑みるに、石原氏はやはりファシストであるといわざるを得ません。そしてこの人を支持する人が有権者の半数に上っていることは、少なくとも「東京都民の成熟度」を表しているような気がしてなりません。しかも、その「成熟度」に巻き込まれてしまいそうな「要素」を誰もが持っている状況もある。石原氏への批判の難しさがここにあるのだと思う次第です。

 この点をどう克服し、広範な人々に訴えていくか。東京都知事選には、いま非常に重要な課題を課せられていると思います。こういう石原氏を支持する人たちに、どのような言葉を持って訴えていくか。一気に解決できるような妙案はたぶんないでしょう。目前の選挙戦を前に何を呑気なと思われるかもしれません。でもそれがあったならたぶんもう使っている。

 思うに、この目前の都知事選では、おそらく愚直に政策を掲げ、どういう東京を作っていくかを訴えていくほかはないような気がしています。それで勝てるかといったら正直わかりません。だから、戦術としては、別のエントリーで何回か述べていますが、選挙最終版では、反石原で一番当選しそうな候補に票を集中させるというオプションも必要だと考えます。でも、それをやるには、それまでにそれぞれ掲げる政策を元にきちんと論戦をしておくことが前提です。候補の一本化の方向に行かなかった以上、政策の論争を通じて、事実上の政策のすりあわせをやるしかない。非常にイレギュラーですが、それしかないと思っています。いわば候補者間の政策論争を通じて政策の精度を上げていくという方法です。石原そっちのけで浅野vs吉田で、などと言っていますが、実は全候補者間でそれをやるのでいいかと思っています。
 そういうプロセスを経て、今度の都知事選が反ファシズムとしての性格をも持っていることが多くの人の前に明らかになれば、それは少なからず選挙戦に影響を与えるものだと考えます。

 実のところ、石原都知事や小泉首相の誕生の仕方などを見てきて、「優秀な独裁者に支配されることが一番の幸せか」というような、確か「銀河英雄伝説」のテーマでもあったようなフレーズを、しばしば思い起こしていました。「強いリーダーを待望する」メンタリティとは、まさにそのようなものかと感じておりました。
 強いリーダーを欲すること自体、そのリーダーに依存したい「甘え」であるのですが、先に書いたように、この手の欲求は誰にでもあるものであり、ゆえに非常に強力でかつ批判しづらい(簡単に自分に跳ね返ってくる)ものです。そういう欲求に自覚的な人は、簡単には強いものになびかないでしょうが、大抵はこういうことには無自覚であることが多いでしょうし、自分で気づくのが非常に困難です。こう書いている私にだって、まだまだ気づいていない「甘え」願望がたぶんある。

 こういう欲求の誘惑や強さに対して、どう対応していくか。ここから書くのは中長期的な課題として考えたことですが、個人的に思うのは、民主主義というものが、どういうプロセスを経て今の姿に至ったか、その歴史を対置していくことが必要ではないかということです。それも、いま学校や社会で一般的に共有されているような歴史=強者によるそれではなく、自分たちのこの社会が依拠している民主主義が、強者でも支配者でもない多くの人々によって、どのような経過を経て作り上げられてきたかという視点からの歴史を洗い出していく作業です。
 これまでは、それをマルクス主義などがある程度行ってきたのだと思います。ただ、イデオロギーがここまで溶解してしまったと見える現在においては(個人的にはイデオロギーは厳然として存在していると考えていますが、ここではそれはまた別の話ですね)、強者に依存したくなるような流れに対応しうる作業とはそれぐらいしか思いつかないのです。(もちろんそう考えるのは私の考えの範囲だけのことで、私の知らない・気づかないことがたぶん山のようにあると思います。)そして具体的にそれをどうするかも思いつきません。
 ただ、たとえば従軍慰安婦問題や南京事件問題などで、過去の行為を矮小化したりなかったものとして歴史を書き直そうという動きに抗して、丁寧な検証と反論が地道に行われていることを知っています。そしてこういう作業を通じて、戦前の日本の社会の雰囲気などが少しずつ明らかにされてきている。こういうことを目にするに、このような作業の積み重ねが、民主主義の歴史を検証する手続きになっていると思うのです。目前の政治戦を闘うと同時に、このような地道な作業も継続して行っていく。これが必要なのではないかと思っています。
 自分がそれが出来ているとはまったく思いません。日々の生活に流されてばっかりです。でも、少なくともこういう視点は持ち続けていたいし、こういう視点で目前の都知事選に望みたいと思います。

 ずいぶん都知事選から離れた話になってしまいました。ここで書いたことには、私の勝手な思い込みが多分に含まれていますから、認識の違い・誤りなどが多々あると思いますので、批判反論などありましたらぜひお願いします。ここまで読んでいただきありがとうございました。

 なお、すでにお願いしてありますが、ためにする誹謗中傷の類は、悲しくなってしまいますのでお控えください。お願いします。

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 上記の論考、上・中・下とも、興味深く拝読させていただきました。今後の石原打倒戦略を考える上でも非常に参考になりますので、拙ブログの下記のエントリーでも、紹介の形でリンクを張らせてもらいました。
 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/0411d182f3686721104087c17fa35c58

社会主義者さま

 はじめまして。コメント&拙記事の紹介ありがとうございます。お返事が遅れまして失礼しました。
 実のところ、この記事は基本的に「サブカルチャー文学論」の受け売りなので、紹介していただくには恐れ多いのですが、それでも何らかの参考になればと思って書いてみました。
 なかなか状況が変わらない中ではありますが、変えるために何が出来るか考え続けていければと思っています。これからも宜しくお願い致します。

初めて拝見させていただきました。
そして、非常に鋭い分析に感服致しました。

「石原氏自身が甘えを求める願望を持っているからこそ、大衆の「甘えを求める願望」に敏感なのではないかということです。つまり、甘えさせてあげられるような主張なり政策なりを、適切なターゲットに適切に提供できるということです」というくだりは、正に状況を正確に言い当てていると思います。

中長期的な民主主義のプロセスの再認識の重要性についての記述にも大賛成です。尤も、アメリカでもブッシュが当選してしまうように、その道のりは果てしなく遠いと思います(ちなみに、8年を経てブッシュを選択した誤りが認識されつつありますが、8年では長すぎるのです)。
貴殿の記述は、有権者も甘えてばかりいてはだめですよというメッセージと解釈させてもらいましたが、その検証の素材として、ヒトラーなどの“大げさな”事例ではなく、小泉氏や石原氏のような事例の検証こそが、今後の民主主義の発展(というよりは「維持」でしょうか)に寄与するのではないかと思います。

ついでに、短期的な視点について私の考えを述べさせていただくと、民主主義は十分な政策論争が不可欠ですので、まずは、極端に制限されている選挙期間中の健全な政治活動を緩和することが重要なのではないかと思います。

以上、まとまり無く感想を述べさせていただきました。
よろしければ、今後も立ち寄らせていただきます。

ゆうどん様

 いらっしゃいませ。コメントいただきありがとうございます。過分な評価をいただき恐れ入ります。読みにくい文章を最後まで読んでいただきありがとうございます。

 この記事は、基本的には大塚英志氏の「サブカルチャー文学論」の受け売りで、たまたま考えていることと合致する内容だったので、それを元に書かせていただいたものです。
 ゆうどん様の言われた「有権者も甘えてばかりいてはだめですよというメッセージ」も含んではいますが、この手の事柄は、無自覚な思い込みで成り立っている面もあると考えていますので、そういう思い込みに対して、このようなことを伝えるために、どのような「言葉」が有効なのだろうかということを考える材料としての意味も含めたつもりです。

 なので、ゆうどん様の言うとおり、本当は小泉氏や石原氏の登場の仕方などの事例をもっと検証できると有効ではないかと思っています。もちろん、短期的な課題として、「べからず選挙」の公職選挙法の改正を求めていくことの重要さもそのとおりで、それも今後取り組めていけたらと思います。
 ただ、同時に、ポストに政策ビラを入れることを「公権力」によって取り締まってもらおうとするような「国民」のメンタリティにどう向き合うかという、とても厄介な課題もありますが・・・

 なかなか更新のままならないサイトですが、今後とも宜しくお願い致します。改めてありがとうございました。

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