「個人」への言論規制の次に来るもの(メディアの信頼性の低下とともに)

週刊文春に出版差し止め仮処分 田中前外相長女の記事で from 朝日新聞 2004.3.17
田中元外相長女の記事掲載、週刊文春に出版禁止命令 from 読売新聞 2004.3.17
週刊文春に出版禁止の仮処分命令 from 日本経済新聞 2004.3.17
週刊文春の出版差し止めに理解=福田官房長官(時事通信) from Yahoo! ニュース 2004.3.17

 この事件に関する新聞・テレビなど主要メディアの論調は、総じて「処分に重大な疑義がある」というものだった。確かに、出版・報道の自由、ひいては言論の自由という観点から考えて、相当に問題のある処分だと強く思う。
 しかし一方でまた強く思うのは、個人のプライバシー、特に公人ではない私人のそれの侵害、というリスクを超えてまで報道すべき内容の記事はどういうものなのか、そのことについての考え方で、一般の人々とメディアの人間との間で、相当に意識・認識の差がある、ということである。

 結局、「報道の自由」「知る権利」を盾にこれまでメディアが行ってきた行動が、メディア自身の信頼性を掘り崩してきた結果ではないか、とも思うのだ。
 プライバシーの保護と報道の自由をあたかも対立する事柄のように捉えて、そのバランスを何処でとるべきなのか、という論議をしているうちは、きっと今後も同じような問題が生じてくるのだろう。

 プライバシーの保護を超えてまで報道すべきことはあると思っている。たとえばそれは、国民生活に重要な影響を与える権限を持つ人々の場合である。普段は「公人」と呼ばれる人たちが、たとえばその権限を行使して、なにかよからぬことをしているのであれば、それはプライバシーの保護という制限を超えてその行動や結果などについて明らかにされなければならない。そういうことについて、国民ひとりひとりが「知る権利」を持っている。それを「代行」する人たちの中に、メディアが含まれていると思っている。
 なのに、実際に行われている個人についての報道は、無くてもこまらない内容のものが多い。芸能関係などは、広告宣伝の代わりに使われているようなものまである。そんなことを日常やっておきながら、いざ規制されて「自由の侵害」と叫んでみても、冷めた目でしかみられないのがオチである。
 出版差し止めの仮処分など、本来はよほどのことがない限り使われてはいけない類いの判断だ。それが発動されたのは、メディア自身が自分たちの信頼を、業界全体として掘り崩してきた結果でもあると思うのだ。

 その上でもなお、今回のこの決定にはなにかしら不穏な意図が感じられて今ひとつすっきりしない。むしろ気持ち悪いぐらいである。先日にあった、立川の「ビラ配布で逮捕」事件や「休日の政治活動で逮捕」事件の延長で、個人や市民団体へ「行使」された「規制」の、次のターゲットがメディアではなかったのか。「個人情報保護」を盾としたメディア規制のテストケースか、と裏読みしたくなる。
 さて、真相はいかに。

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コメント(1)

最終段落の見解については保留としますが、その前の段落、

>プライバシーの保護を超えてまで報道すべきことはあると思っている。?

以降のくだりについては、全面的に賛意を表したいと思います。

ごまめとしては普段はあまりいい感情を持っていない田中真紀子氏に絡む話題ですが、今回の一連の流れについては文春側の対応に大いなる疑義、というよりあまりの牽強付会ぶりに怒りすら覚えています。

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