8月15日の社説を読む(1)

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 日本の平和に対する姿勢が大きく変わった中で迎えた59回目の8・15の社説を読み比べてみた。
 まずは全国紙から。

 読売「『BC級戦犯』をも忘れまい」
 東京裁判という「不当な裁判」で処刑された人たちの上に、今の平和と繁栄があるという。不当に貶められた人々がいる、それを忘れるな、はその通りかも知れない。しかし、なぜこの国はあの戦争を始めたのか、という検証(蛇足だが、もちろん批判的検証の事である)なしにはこの主張は、広がりを持てないのではないかと思う。

 朝日「59回目の8・15――遠い日の戦争、遠い国の戦争」
 戦争は遠い過去の記憶、遠い場所の出来事。そんな中でどんどん進む戦争できる体制づくり。いちいちその通りかも知れない。でも、いま日本は、事実上イラク戦争の当事者となっているのではないか、という視点があってしかるべきなのに、まるで出てこない。肝心な事を伝えない(伝えられない)大メディアの限界を示したか。

 毎日「終戦記念日 世界の平和作りに参画しよう」
 世界の平和づくりのために、国のあり方からきちんと考え直し、合意形成をしようという主張はその通りと思う。しかし、ではどういう方向で進んでいけばいいのか、ということについてはぼかしてしか触れられていない。これでは、国民的合意さえできればどんな方策をとってもいい、とも読める。「憲法の改正をしないまま、自衛隊の海外派遣までできるようになってしまった。それでいいのだろうかとは誰でも思う。」とか「集団的自衛権や武力行使などでの理論的な整合性確保」などと書かれれば、整合性さえつけばいいのか、とも勘繰ってしまう。

 日経「敗戦の日 無言の声に耳を澄ませたい」
 戦争を指導した層の無策ということは、小熊英二著「民主と愛国」の序盤の部分を読むだけでもよくわかる。「指導者の無定見、無能の故に死んだのだ。無言の訴えに耳を澄ませ、教訓を学ばなければ戦争犠牲者は浮かばれない。」とはその通りだろう。ただ、指導層がきちんとしていて、戦争に勝っていればよかったのか、とも全く思わない。どうしても、蛇足と分かっていてもこれは付け加えなければいけないと思っている。

 産経「終戦記念日 戦後の超克を果たす時 59年目を迎えた日本の課題」
 戦後60年を機に過去は全て忘れてしまえ、と言うだけ。読むのが辛かった。

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