東京都知事選:石原氏への「批判のしにくさ」と「社会の成熟」(上)

 のっけから言い訳で申し訳ありませんが、地域労組の平役員をしていることもあって、3月14日の賃上げ集中回答日以降、春闘関連の行動が増えてきて、まとまったエントリーを上げる時間が少なくなってしまっています。東京都知事選のことや、同時並行で進む国民投票法案を巡ることなど、書きたいことはまだまだあるのですが、ここ数日はなかなかまとまって書く時間が取れそうもありません。

 なので、とりあえずですが、いま考えていることを。
 この都知事選では石原氏をスルーして浅野vs吉田で政策論争しよう!など騒いでおりますが、だとしてもやはり石原氏が都知事としてやってきたことに触れないわけにもいかないとも一方でずっと思っていて、批判的に取り上げるべくこのところ思案しておりました。
 石原氏のいろいろな暴言や都政私物化、そしてなにより教育行政に顕著に見られる強制的な強権発動等、批判すべきことはたくさんありますし、すでに多くの方が批判を加えております。その努力のおかげで、石原都政のひどさ・おかしさが十分浮き彫りになっていると思っています。

 でもその一方で、ずっと感じていたのは石原氏への「批判のしにくさ」でした。上であげたように批判されるべき出来事に事欠かない石原氏なのに、一方でその批判がなかなか石原氏のダメージにならない、それどころか、さすがに減ったとはいえ世論調査でまだ5割を超える支持率を維持している。ある程度予想してたとはいえ、やはりこの事実には驚かされます。

 でも、その「謎」に手がかりを与えてくれる本がありました。まんが原作者の大塚英志氏による「サブカルチャー文学論」(朝日文庫)がそれです。

 この本は、故江藤淳氏という文学批評家の「文学批評の方法」の試みを引き継いだもので、文庫ながら750ページ超、基本的に文学論なのでいきなり読むにはかなりとっつきにくい内容ではあります。ただ、勝手な私見ながら、本書は、近代における個人の成熟を問うことをサブカルチャー化する文学がいかにそれを書きうるかという点が通底するテーマとしてあり、その延長線上で、石原「文学」への批評が2章にわたって行われております。

 難しい本なので、誤認を含んでいる可能性もありますが、私なりにまとめてみたいと思います。
 大塚氏は、いわゆる石原「文学」というものは、無条件で甘えられる「母」への回帰願望で貫かれており、そういう条件のもとで、はじめて「男」として主体的に振舞える。そういう構造になっている、と批判的に分析しています。無条件で甘えられる場に全面的に依存することで、ほんとうは「不在である男性的な主体をあるものとして錯覚せしめる」(同書『太陽の季節』は何故「サブカルチュア」文学ではないのか)と批判しています。

 石原氏の小説は、一見、男性の強さ(マッチョさ)を強調するように読めますが、たとえば作品中で描かれる男女関係は、肝心のところで主人公たる男性は総じて受身になってしまい、女性がリードする構成になっているのがほとんどです。では、どういうときに男性は主体性を持ってリードできるか。相手が「内面」(あるいは心というべきもの)を持っていない場合にのみ、主体性が発揮される。要は、対面すべき心を持たない相手にだけ、男としての主体性が発揮されるというパターンになっています。
 要するに、自分を無条件で甘えさせてくれる「母性」をもった相手にはリードされ、そうでない相手には「男」として振舞う。そういう構成になっているといいます。

 つまり、石原「文学」における「男」の主体性というのは、「母」(母性)に全面的かつ唯一的に依存する形で成立しているものであり、だから実は非常に脆弱な主体しか持ちえていないといえます。なにしろ全面的に甘えが許されるフィールドがあって、はじめて男としての主体性が維持されるわけですから。
 そしてそういう脆弱な主体性は、「母」が一人の女性として「内面」を持ち主体的に振舞い始めるといきなり崩壊の危機にさらされます。といいますか、常に崩壊の危機と隣り合わせにあるとといっていい。
 だから石原「文学」の主人公たちは、容易に「母」たる女性に対する暴力を発動していく。全面的に甘えさせてくれることが条件ですから、その甘えを許容してくれているかどうかを確認するために、「母」にいろんな形の暴力を行使する。もし「母」が「内面」を持ち始めたら、以前の「内面」のない「母」を取りもとすべく、さまざまな「行動」にでる。もしそのとき「母」を失ってしまえば、また「母」を求めてさすらっていく。そうして常に「母」に回帰しようという運動に帰っていく。主人公たる男性が過剰に「男らしさ」を振舞うがゆえに見えにくくなっていますが、これが石原「文学」に通底するテーマではないかと、大塚氏は本書で指摘しています。

 こういう大塚氏の指摘を受けて考えるに、石原「文学」の主人公たちは常に、「内面」を持つ相手と向き合うことを回避しているように見えます。主人公たち本人にとってはどうでもいい相手に対しては一人前に振舞えるようですが、ちょっとでも「内面」を持っている(主体的になろうとしている)相手には、向き合うことを回避しようとする。

 それは実際の石原氏本人にも、まるっきり小説といっしょではありませんが感じることでもあります。
 では、それはどういう時に感じられるのか。
(次のエントリーに続きます。すみませんがアップまでいましばらくお待ちください)

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